天才とは彼のような人を言うのだろうと思う。
増岡弘さんが亡くなったそうだ。増岡さんと言えば、多くの人はサザエさんのマスオさんやアンパンマンのジャムおじさんを思い浮かべるのだろうと思う。
ぼくが増岡さんの声で印象に残っているのは、中村一義が1stアルバム「金字塔」のラストの方で、「永遠なるもの」から3曲つながって終わる最後のおまけトラックで、マスオさんの「僕の人生はバラ色に変わったー」というセリフが入ってくるのが非常に印象に残っている。
というわけで、今日は中村一義の「永遠なるもの」。しかもこのMVはその一連の流れを聴くことができるバージョンになっている。
よくよく考えたら100s以来、まともに彼の音楽を聴いていない気がする。
デビュー時にはとんでもない天才が現れたもんだと思ったもので、「犬と猫」はその年の自分内ベストチューンだった。
彼のようなミュージシャンがまた現れてきたら、日本の音楽もまた面白くなっていきそうなものだけどね。
三連休終了
今の会社に拾ってもらい、在宅で仕事をするようになったものの、正規ではない契約社員という立場なのもあって、基本的には土日以外は休みにならない。なのでちっとも三連休のありがたみがわからないのではあるが、フルタイムで正社員で働いている友人と連絡をとったところ、この三連休の終了は世界の終わりのようであるとの答えが来た。
というわけで、今日はミッシェル・ガン・エレファントの「世界の終わり」でいきましょう。
ものすごく好きなバンドでした。解散したことも、アベさんのことも残念なバンドです。
不動のセンター体制が招いた悲劇。
私は乃木坂から坂道ファンになったこともあり、欅坂の動向も気にして見ていた。しかしこの欅坂46というグループは乃木坂とも比較しても非常にいびつで特殊なグループだなと感じていた。欅坂からのれん分けのような感じで誕生したけやきざか46(現日向坂46)など、話題には事欠かないグループだったが、そのどれもがこのグループの特殊性、いびつさから生まれたもののように感じていた。
乃木坂にしても欅坂にしても生駒や平手というのは秋元先生のお気に入りなのだろうというのはわかった。どちらも継続してセンターをさせていたし、おニャン子の頃なら自分の嫁にもしたように別ユニットやソロでデビューさせたりっていう手法も取れたのかもしれないけど、坂道はそういう売り方はしたくなかったのかな。結果として欅に関しては平手のセンター固定という方針によって、平手の疲弊を生み、たびたび休養を取らざるを得なくなったり、センターの器を持っていた上に人気メンバーだった今泉佑唯や志田愛佳の卒業を生じさせてしまうというような、問題や弊害を生んでしまったのではないかと思う。
というわけで今日は
平手のことを表しているような欅坂46の楽曲「黒い羊」
個人的にはこの曲の後任センターは昨年末のCDTVスペシャルでもセンターを務めた森田ひかるのパフォーマンスが非常に印象的だったので、彼女のセンターで見ていきたいという気持ちもある。もちろんそれ以外のメンバーにもグループの新陳代謝を促すために発奮してもらいたいものだ。今泉や志田、ひいてはねる、鈴本の悲劇を繰り返さないためにも運営もこれからの欅のあり方を本気で考えていってほしいと思う。
それではまた次回。
まさかこの歳でまた就活とは
今回こんな記事を書こうと思ったのは、yahooニュースでこんな記事を見つけたからだった。
元々私はフリーのライターや編集者、カメラマンなどとして生計をたてていた。立てていたと過去形なのは、脳梗塞の後遺症によって左片麻痺になり、病前のように仕事ができなくなったからだ。
私がライターや編集者を目指したのは、氷河期で就職できないまま大学卒業後にかろうじて見つけた地元のタブロイド紙の会社に就職したのがきっかけだった。せっかくそういう会社に就職したにも関わらず、営業としての採用だったため、紙面づくりや原稿作成には参加することができず、せっかくならば書く仕事がしたいと思い、大学時代の友人を頼ってその友人がいた出版社の仕事をさせてもらえないかと愛媛県に移住したときに編集プロダクションでライターのいろはを教えてもらい、その後広告代理店などで雑誌づくりや広告企画などに関わりつつ、独立してフリーのライター・編集者となり、愛媛の広告代理店や印刷会社、出版・広告会社などから仕事をもらいつつ、文章を書くだけでなく撮影やデザインのスキルも身に着けていった。
今思えば、氷河期世代だったにも関わらず、いろんなスキルを身につける仕事の仕方をしてきたこともあって、運良く自分で仕事をとることができていたのだなと思う。
しかし病気をしたことによって自分が生業としてきたことができなくなり、片麻痺の今の自分でできる仕事を見つけなくてはならなくなってしまった。
B型の事業所なども利用しつつ、ネットで在宅でできる仕事などを探していたら、ようやく、運良く見つけることができた。
できればライター仕事がないかと思っていたが、見つけたのはデータ整理や入力の仕事だった。
就職できなくても自分で仕事をする方法を見つけ、それを今後一生の仕事にするつもりだったのに、病気をしたことで全てが狂って自分の人生設計が異状ありになってしまった。
ぼくが大学に入った頃は就職は売り手市場で、きっと卒業したらどこか企業に就職しているのだろうと漠然と考えていた。しかし就職どころか卒業も怪しかったため就活そのものもまともにしなかったぼくに就職ができるはずもなかった。
ちょうどその頃、そんな新卒の売り手市場を題材にした映画「就職戦線異状なし」という作品があった。織田裕二や的場浩司、坂上忍が出演していた。当時のバブリーな雰囲気や学生の姿を的確に描いた作品であった。そしてこの映画で使われた主題歌が、槇原敬之のあの代表曲「どんなときも」であった。
ちょうどこの曲が流行ったときにウッチャンナンチャンが自分たちの番組でパロディにしていたりもして、90年代初頭にはいろいろ話題になった曲や映画であった。
しかしその後バブルが崩壊し、就職氷河期が訪れた。
それもあって公務員を目指すために在学中から予備校に通う人なども増えた。
そしてここでようやく冒頭の記事のことだが、
今さら氷河期世代を救済しようとしてもいろいろと遅いと思うんだけどね。
もっと早くやっとけば、こんなに多くの中年の引きこもりを作ることもなかったと思うし、税収だって上げられていたと思うし、少子化にも少しくらいは歯止めがかけられていたんじゃないかと思う。
働いていたときにも結婚の気配もなかったぼくが言っても説得力がないけどね(笑)。
ようやくこの体でもできる仕事を見つけ、仕事をさせてもらえることになったのは本当に感謝だな。
それではまた次回もよろしく。
駅伝
駅伝を見るのがけっこう好きである。今日開催されたクイーンズ駅伝も、楽しみに見ていた。優勝は東京五輪のマラソンの代表にも内定している鈴木亜由子選手が所属する日本郵政グループ。鍋ちゃんも花ちゃんもいなかったのに、ルーキーの活躍と鈴木選手の圧巻の走りで見事に3年ぶりの優勝を果たした。
今日はそんなクイーンズ駅伝の放送中に流れていたbishの「プロミスザスター」
少し前のアメトークでbish芸人があったこともあり話題になった異色のアイドルグループ。楽器を持たないパンクバンドのコピー通り、アイドルの枠におさまらない楽曲の良さや活動スタイルが好きです。この曲はぼくがbishに興味を持ったときの一曲でした。
フジファブ好きで乃木ヲタにとっては欠かせない一曲
前回の記事でフジファブリックを取り上げて機会があれば「夜明けのbeat」をと書きましたが、フジファブ好きで乃木ヲタの私にとっては「夜明けのbeat」よりも先に取り上げなくてはならないフジファブの曲があったのでした。
それはフジファブリックの「GIRL!GIRL!GIRL!」
これはフジファブのライブに参戦した奈々未さんが、「ずっとファンです」と公言したことがきっかけとなって、実現したMV出演だったそうです。
私が乃木ヲタになるきっかけでもあった奈々未さん。
卒業とともに芸能界も引退してしまった奈々未さんが動く姿を見られるというだけでも貴重なMV。たまに思い出したように無性に観たくなります。
今は一般人になってしまった奈々未さん、どうされているのかすごく気になりますね。
今や普通に就職されていたりして、もし仮に万が一にも千が一にも、仕事先で同僚とかになったら、死んでしまいそうです。
それではまた次回
金木犀の香りで季節を知る。
このブログをはじめるときも書きましたが、私は心筋梗塞からの合併症の脳梗塞の影響で左半身麻痺の身体障害者になってしまい、毎日の大半を家の中で過ごしており、季節感のない生活を強いられています。そんな中でもかつて自由に動けていた時のことを思い出し、外の空気でも吸おうと部屋の窓を開けて空気の入れ替えをするときもあります。
今の時期は窓を開けると金木犀の香りが漂ってきます。忘れかけていた季節感が感じられ、嬉しくなる瞬間です。
フジファブリックはご存じの方も多いと思いますが、
元々のボーカル・ギター志村正彦が早逝したことでも知られるバンドですが、
もし彼がまだ生きていたら、今はどんな曲を書いて、どんな活動をしていたのだろうということを感じさせてくれる才能に溢れた人物でした。
志村抜きの残ったメンバーでも精力的に活動していて、モテキの主題歌にもなった
「夜明けのbeat」のスマッシュヒットは記憶にも新しいのではないでしょうか。この曲のMVの森山未來のダンスも非常に印象的で、その曲についてものちのち、いずれタイミングがあったときに触れていきたいと思っています。
それではまた次回。